畳のサイズが地域によって違うのはなぜ?畳のサイズが違う背景とその歴史

日本の家には欠かせない「畳」。
畳の上に布団を敷いて寝起きし、家族で食卓を囲み生活する。まるでサザエさん一家のようですが、実際に体験したことがなくても、日本人ならそんな畳のある暮らしになんとなく懐かしさを感じるのではないでしょうか。

畳は日本で生まれた独自の床材で、古くから私たち日本人の生活に寄り添ってきました。
そんな畳ですが、じつは畳のサイズは地域によって違うということをご存知ですか?
同じ1畳の畳であっても、地域によってその大きさは違うんです。
畳の大きさの種類は色々ありますが、代表的な規格は以下の3つです。

京間(本間)191cm×95.5cm主に西日本
中京間182cm×91cm東海地方など
江戸間(五八間)176cm×88cm主に関東以北
(現在は全国で使用)

畳のサイズが地域によって違う理由は、畳が普及してきた歴史や日本の建物の建築方法と深く関係があります。
畳のサイズが違う理由とその背景についてまとめました。

目次

畳のサイズが違う背景とその歴史

畳は平安時代にはすでに貴族の間で使われるようになっていました。
平安時代の建築様式である「寝殿造」は床が板張りで、そのままでは固く寝心地や座り心地も悪いため、畳は高貴な人々の間で座具や寝具として重宝されました。今でいうところの「座布団」のような感覚ですね。また現代とは違って部屋一面に畳を敷きつめるのではなく、板の間の一部に「置き畳」を敷いて使用されていました。貴族の位によって大きさや厚みも違ったようです。
その後室町時代~江戸時代にかけて「書院造」の建築が普及し、畳を部屋中に敷き詰めるようになりました。
一部の高貴な人々のものだった畳が一般庶民にまで普及したのは江戸時代の後半からで、商家などを中心として普及し、農村部では明治時代以降に畳が普及しました。

畳のサイズが違う背景とその歴史
『彩画職人部類』「畳」(国文学研究資料館所蔵)
出典: 国書データベース,https://doi.org/10.20730/200018387

畳の大きさは室町時代ころにはまだ作り手によって多少のばらつきがあったようですが、普及がすすみ畳を部屋一面にしきつめるようになると、サイズを統一し規格化する必要が出てきました。
江戸のはじめ頃の資料にはじめて「京間」という言葉が登場していることから、江戸時代初期にはいちばん最初にできた規格である「京間(丈191cm×巾95.5cm)」が誕生していたようです。
京間は西日本を中心に普及し、その後関東地方では「江戸間(五八間)」、東海地方では「中京間」が使われるようになり、地域によって畳のサイズに違いが生じるようになりました。

畳のサイズが地域によって違う理由には2つの説がある

畳のサイズが地域によって違う理由①建物の建て方の地域性の違い

畳のサイズが地域によって違う理由のひとつに、建物の建て方の違いがあります。
建物の設計方法はじつは全国同じではなく、何を基準にして寸法を決めていくかが地域や時代によって違うんです。

「畳」を基準とする「畳割」という設計方法と、柱の中心から中心までの寸法を基準とする「柱割」という設計方法があり、畳割はおもに関西以西で、柱割はおもに関東以北で広まりました。

【畳割と柱割】畳のサイズが地域によって違う理由のひとつは建物の建て方が地域によって違ったためだと考えられます。

畳割は決まったサイズの畳をまず配置して、そこから柱の位置を決めていく設計スタイルです。
それに対して柱割はまず柱の位置を決める設計スタイルです。
柱割は大工さんにとって作業がしやすく効率が良いため、人口増加とともに広まり現在では全国的に柱割が主流となっています。

ただ柱割で建てられた建物には、これまで使われていた既存のサイズの畳がきれいに収まらないことが多く、もっと小さな規格の畳が必要となりました。この過程でもともとあった京間に加えて江戸間(五八間)や中京間など、京間よりも小さい畳の規格が誕生したと考えられます。
実際に、京間の畳(長さ約191㎝)に比べ江戸間の畳(長さ約176㎝)は長さが約15cmも短くなっています。

畳のサイズが地域によって違う背景には、こういった建築方法の地域差や時代による変遷が関係しています。
柱割が普及した現代では、京間や中京間などが主流であった地域でも江戸間(五八間)が使われることが多くなっています。

畳のサイズが地域によって違う理由②一間(いっけん)の長さの基準が変わったため

一間(いっけん)とは、長さ六尺(約182㎝)で、柱の中心から中心までの長さのことをいいます。

日本の建築でよく使われる一間(いっけん)という単位。
一間は約182㎝で、どの家にもあるごく一般的な窓のサイズ、といえばイメージがしやすいですね。

その他にも建築業界では尺(約30㎝)・寸(約3㎝)など、日常生活ではあまり使われなくなった長さの単位が今も広く使用されています。

この一間という単位、現代では一間=6尺なのですが、「一間の長さ」は時代によって変わってきたのだそう。

戦国時代、検地(田畑を測量し、面積や収穫高などを調べること)は家臣や各地の寺社などによる申告制であり、その測り方等は統一されておらず必ずしも正しい内容ではありませんでした。このころ一間は6尺5寸(約197㎝)とされていました。
その後秀吉により太閤検地が行われ、一間=6尺3寸(約191㎝)と定められ、測量の基準と年貢の換算方法が全国で統一されました。
さらにその後家康は一間=6尺(約182㎝)とし、これがそのまま現代に続いています。

畳の長辺の長さでもある一間(いっけん)の長さは現在は六尺と決まっていますが、太閤検地の頃は一間は六尺三寸、戦国~安土の頃は一間は六尺五寸とされていました。


同じ「一間(いっけん)」でも時代によって約15㎝も長さが違うことになります。
今の住宅にある一般的な窓のサイズが一間であることからもわかるように、現代でも建築やその部材の寸法を考えるときに一間、二間という単位は頻繁に使われますので、その基準となる「一間の長さ」が時代によって変わることは色々な影響や混乱を招いたことでしょう。
畳のサイズが今のように何種類もあるのは、一間の長さの基準が変わったことも理由のひとつだと考えられます。

畳のサイズが地域によって違う理由まとめ

畳のサイズが地域によって違ったり、大きさの種類が色々あるのは

建物の建て方が地域や時代によって違ったから(畳を基準とする「畳割」と柱を基準とする「柱割」)
一間の長さの基準が時代によって変わったため(一間=6尺5寸→6尺3寸→6尺)

主にこの2つが理由だと考えられます。
畳は平安時代にはすでに使われていたほどですから、畳のサイズの違いは日本の産業や社会経済の発展の歴史と深く関係しているんですね。

ふだんあまり気にすることはありませんが、ひとくちに畳といってもいろんな種類があります。
京間の畳は大きいので、たとえば同じ「6畳」でも京間の6畳と江戸間の6畳では広さが江戸間1畳分以上も違うんです。
京都の寺社など歴史ある建物には京間が使われていることが多いので、旅行で訪れたときには畳の大きさに注目してみるのも面白いかもしれませんよ。

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